私は寿司屋の娘として育ちました。夕方から閉店の23時まで裏で1人。忙しい時には夕飯も出てこないため、パン屋さんがパンを持って来てくれたり、銭湯にこどもだけで入浴してきたりと、地域が育ててくれました。
でも、それは、職住同一な昭和な商店だからできたこと。今は、何か仕掛けがないと、地域がこどもを見守るのも難しい時代だと思います。
児童貧困を知り、「新宿にも子ども食堂は必要なの?」と区内の小学校教員や児童館職員に聞くと、「作ってほしい、行政職員は公平性を守る立場があり、個々のこどもに何かすることができない」と、心の葛藤を知りました。それをママ友に話すと「ご飯つくってこどもと食べるだけなら、毎日してるじゃん!」とみんな乗り気!ノウハウが知りたいとこども食堂サミットに参加して、立上げメンバーを得ました。
こども食堂を始めたいと呼びかけると、その日のうちにたくさんのママ友が集まってくれました。
彼女たちからは「うちの子は癇癪が強く、毎日が本当につらい。夕飯どきが一番大変なのに区内の子育て支援は昼間だけ。夕飯どきにかけこめる場所があったら…」、「気になる子がいる。遊びに来るといつまでも帰らない。両親が9時過ぎまで帰宅せず、夕飯を買うお金は置いてあるが、さびしいみたい」などの声が。ボランティアに参加するママ自身にも、切実なニーズがありました。
2016年3月から箪笥町地域センターで月1回開催するようになり、2016年9月には若松地域センターも加えて月2回開催になりました。
規模が大きくなるにつれ、人手が足りなくなり、地域センターの収容人数を超えてしまい、利用対象者を絞る必要が出てきました。その結果、今は9割以上の利用家庭がひとり親さんになっています。
また、運営面でも手が足りないことが発生するようになると、ご利用者さんがゴミの持ち帰りや皿洗いを買って出てくれたり、仕分け作業を手伝ってくれるようになりました。
資金不足に関しても、ボランティアが寄付を募ってくれたり、地域から焼き立てパンや寄付品が提供されるようになり、そういった活動実績が次年度の助成金獲得につながり、パントリーや食品宅配、ヘアカットやワクチン接種など利用者さんのニーズにあった事業が続々と生まれています。
そういった流れの中、「ボランティア、寄付者、お客さんの分けへだてなく、関わるみんなが、心から楽しめる場」「みんなでつくる食堂」というコンセプトが生まれました。
これからも、多くの方に参画いただき、一緒に育てていただければ幸いです。
設立発起人 齋藤宏子